治安の良かったサンティアゴを離れ、要注意の街ブエノスアイレスへ。
再び、ピリピリと緊張感の漂う旅が始まる。
まずは、ペルーで盗まれたSDメモリーカードを購入すべく、空港のショップを訪ねた。
メモリーカードは当時の物価では 32GBで4000円ほどだった。
日本での金額を考えると、ずいぶんと高く感じられた。
店員さんによると、アルゼンチンは農業大国で、
工業製品は輸入に頼っているため、値段がとても高いのだという。
それを思うと、日本は物価が安い国のように感じられてきた。
日本でも、高いものはあるけれど、その分、質が良いものも多いし、
100均ショップや100円ローソン、 牛丼屋などファーストフードもたくさんある。
その選択肢の幅広さが、とても有り難いものだということが分かった。
今回滞在したのは、今は無き日本人宿である日本旅館だ。
日本旅館では、この街の歩き方や、通ってはいけない道を詳しく教えていただいた。
それでも、強盗に遭う日本人は後を絶えないのだという。
当時2016年のアルゼンチンでは、「ケチャップ強盗」という手法が流行っていた。
わざと服にケチャップをつけられ、「ついてるよ」と親切心を装い
相手が拭いてくれている間に 財布などを抜き取られてしまうことだ。
最近はケチャップではなく、鳥の白いフンのようなインクを付けてきたりと、
手口も巧妙になってきている。
日本旅館のオーナーによると、ひどい時はここに滞在した日本人が1週間で7人、
つまりほぼ毎日(!)ケチャップをかけられた人がいたということだった。
街では、絶対に行ってはいけないスラム化した無法地帯や、
通ってはならないストリートがたくさんある。
また、闇両替所が乱立しており、
治安だけでなく、経済の不安など色々と問題点があるように感じられた。
しかし、そんなどんよりとしたイメージをよそに、
ブエノスアイレスは、お洒落なカフェやタンゴのお店が立ち並び、
ラテンと違う、落ち着いた雰囲気だった。
「南米のパリ」という例えがぴったりな、大人な雰囲気の街だった。
気候も寒く、どことなく哀愁が漂い、秋の始まりの寂しさを感じた。
アルゼンチンの家庭料理には、特徴的なものがあまりなく、
「アルゼンチンの代表的な料理は?」と聞いても、イメージできるものは少ない。
しいて、食文化の特徴をあげるなら、
牛肉をたくさん食べることや、 イタリア移民の影響で イタリア料理が多いということだ。
正直、料理に特徴が少ないがゆえ、渡航前はあまりワクワクしていなかったが、
実際にブエノスアイレスでいろんな料理をいただくと、想像以上の感動があった。
なぜなら、食材自体の質やクオリティーが素晴らしかったからだ。
特に、お肉は私は世界中を回った中で、一番美味しい(コスパが良い)と感じられた。
南米でよく見られるエンパナーダやイタリア料理も大変美味しく、
とにかく、何を食べてもハズレがなかったことに驚いた。
南米の美食の街は、ブエノスアイレスで決まりだ。
特に、ここで印象的だったものは、「チョリパン」と「チミチュリ」だ。
チョリパンというのは、その名の通り、チョリソーというボリュームあるウインナーを
パンに挟んだ、ホットドッグのようなアルゼンチンのソウルフード。
ブエノスアイレスには「チョリパン通り」と言うチョリパンの屋台が並ぶ場所もある。
ここはグルメ旅には外せないエリアだ。
チョリパンはカスタマイズ性に富み、 具材やソースなど好みのものを選ぶことができる。
ボリュームは、かなり大きい!
そのソースの中で感動したものが、チミチュリと呼ばれるソースだった。
チミチュリは、オレガノなどのハーブ類やオリーブオイルを入れて作られた、
ドレッシングのように爽やかなソースで、これが濃厚なお肉と非常に良く合う!
このチミチュリは、 新しい焼肉の定番ソースとして、
日本でもヒットするのではないか?と思うほど美味しかった。
今回は初めて Kitch Hike(キッチハイク)という料理に特化したマッチングサービスを活用し、料理を教えていただいた。
ここでは、南米料理の定番である、エンパナーダとウミータを学んだ。
初めて現地の人(しかも男性)の家にお邪魔するということで、緊張感もあったが、料理を教えてくれたPehuenさんは穏やかで優しい方で、とても良い経験となった。
さて、お次は ブラジル!
南米の緊張感は続く・・